The Lives of Others -善き人のためのソナタ-
2007 / 07 / 27 ( Fri ) "The Lives of Others"というドイツの映画がある。今年のアカデミー賞で外国語映画賞を受賞した作品。
![]() 今年は今のとこ70本くらい映画を見てるけど、これが一番良かった。 内容はというと・・・ ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツにあった監視システム(秘密組織)と、そこで働く人の話。昨日亡くなったUlrich Mueheが主役を演じてるんだけど、こいつは怪しいんじゃないか(反体制)、という人を盗聴して、証拠を見つける仕事。彼はある作家と、同棲している女優の監視を言い渡され、盗聴器を設置して24時間監視することになる。ある日、作家がプレゼントにもらった「善き人のためのソナタ」という曲を演奏しているのを盗聴器から聴き、彼が所属している、巨大で厳しい監視システムに疑問を抱く。証拠はつかむものの、それによって彼らの生活を引き裂いてよいものか、権力による支配は正しいのか・・・彼は作家達のため、自分の人生を犠牲にする。それが英語題"The lives of others(他人の人生)"とかけてあるんですね。他人のために人生を生きた人、ということです。邦題も「他人の人生」でよかったと思うんだけど。率直だし。でも「善き人のためのソナタ」も捨てがたいな、確かに。 ![]() ちなみにこの俳優も、実際に盗聴されていた過去があるとか。 この映画を薦めてくれたのは、プラハとポーランドの引率をしてくれた教授。「ドイツには行かないけど、同じナチスの歴史を歩んだ国に行くなら、今のうちにこれを見とけ。その頃の人たちの誰も信じられなかった日常がわかる」と。 ホントにあったんだ、盗聴されてるとか・・・と思ってたけど、実際その場所に足を運んでみると、実感できる。ゲシュタポがどれだけ反体制を見つけるのに力を注いでたか、とか。そしてこの映画が光を当ててる秘密組織もゲシュタポと並ぶくらいだったというし。 ある政府が、独自の政策を行き渡らせるのに(プロパガンダなど)、どれだけ努力してるんだろう、と思ってたけど、こんなに手の込んだことやるのか、と映画で目の当たりにし、人間って怖いな・・・と思った。 ドイツ史の一幕を飾る映画です。見て損はない。 |
Reminding myself....!
2007 / 06 / 20 ( Wed ) ・背筋を伸ばして歩く
・笑顔 ・コーヒーを飲み過ぎない ・タバコは最小限に、ソーシャルのみで ・野菜を食べよう ・あたってくだけろ |
アウシュビッツに行った。(写真編)
2007 / 06 / 12 ( Tue ) 以前の日記にも書いた通り、ポーランドに行ってきた。そしてもちろんアウシュビッツにも。感想は次回にまわして、今回は写真(+コメント)をアップします。順番はバラバラだけども。
まず、アウシュビッツとは、ポーランドにあるオシフィエンチム市(というのだろうか、日本語で)のドイツ語名です。第2次大戦中にナチスによって名付けられました。そのオシフィエンチムに強制収容所は3カ所あり、「アウシュビッツ1、2、3」とよばれています。私が行ったのはアウシュビッツ1と2。アウシュビッツ1は、比較的狭いのでミュージアムに、アウシュビッツ2は、かなり広く、森もあり、野生の鹿も住んでいました。以下の写真で見るとわかると思います。 ![]() この写真は、アウシュビッツ1のゲート。このドイツ語は、たしか「works make free/働けば自由になる」という意味だったはず。 ![]() これはアウシュビッツ2の中の様子。当時、手前に写っている鎖には、人間が触れると死んでしまうくらいの電気が流してあったそうです。この鎖に触れて自殺する人もたくさんいたそう。 ![]() これもアウシュビッツ2の中。かなりの広さがうかがえると思います。でもこれでもほんの一部のみの写真です。 ![]() これは、収容されていたユダヤ人の囚人達が寝ていたベッド。ベッドとはよびがたいシロモノです。この一区画に腐ったわらを敷き、3〜4人が寝ていたそう。 ![]() これは、収容所の閉鎖直前に壊されたガス室跡。アウシュビッツ2内にいくつかあった。 ![]() アウシュビッツ2内にある、線路の最終地点。そしてユダヤ人が下車した地点でもある。線路の切れ目もここにあり、今はその先に記念碑が建てられています。 ![]() これはアウシュビッツ1内にいくつもある、ミュージアムの壁一面にかけてある、当時の囚人達の写真。たくさんあった中のごく一部です。アウシュビッツにつくと、男性も女性も、老人も子どもも皆毛を刈られ、3角度からの写真を撮られました。 ![]() アウシュビッツ2にある線路の切れ目。 ![]() 囚人を殺すためのガスとして使われたチクロンBというガスの缶。もちろん本物。 ![]() アウシュビッツにつれてこられた人は、個人の持ち物を全て没収されました。この写真は、部屋いっぱいの靴。 ![]() 囚人服。映画「ライフイズビューティフル」にも出てたような。あの映画、大嫌いだけど。 ![]() 囚人達の写真。その下には収容された日にちと亡くなった(殺された)日の日付が記されてる。みんな丸ぼうず。 ![]() 収容されていた人の中には芸術家もいた。その中の一人の作品。 ![]() アップしようかどうか迷ったけど、これが私が見たものだからアップすることにしました。収容されてた人達の食生活、健康状態がわかる。70キロだった女性が43キロになった、との記録もあった。 ![]() 医療実験に使われていた子ども達。もう男の子か女の子かわからないくらい痩せてる。特に双子などは医療実験の恰好の実験台だったそう。 ![]() 収容されていた子ども達の写真。今でも私の頭にビビッドに残っているのは、目に涙をいっぱい浮かべた丸ぼうずの女の子の写真。子ども達はシャワーを浴びる、と言ってガス室に連れて行かれたそう。ちなみに子ども達の食事は大人に比べると比較的良かったそう。 と、まだたくさん写真は撮ったけど、今日はこれくらいにしておきます。 アウシュビッツ1にあるミュージアムには、ここに載せた写真の通り、いろんな資料や、ユダヤ人の持ち物、はたまた髪の毛が部屋いっぱいに展示されていたりもしました。写真など、あまりに残酷すぎて、本当にこんなことあったんだー、という漠然とした感覚で見ていましたが、私に一番こたえたのは、涙を浮かべた女の子の写真でした。 アウシュビッツ2は、驚くくらい広く(全部廻るのに丸1日かかるかも)、自然にあふれる場所。森もあって、すごく静かで、今となっては変なくらい平和な場所でした。 二次世界大戦に大いに関係ある国の国民として、原爆記念館とあわせて訪問しておきたい場所。 |
歴史を知るということは、先を見るということ。
2007 / 05 / 19 ( Sat ) 来週の頭から、夏休みの哲学のクラスの一貫で、チェコとポーランドに行く。
その哲学のクラス、「philosophy of freedom」というんだけど、ホロコーストを通して人間の自由を問うという内容。クラスメイトは10人程度!旅行にはちょうどいい人数。留学生ひとりだし! ![]() プラハの時計台 で、出発は来週なんだけど、授業はもう始まってる。先日、出発直前ということで、教授がアウシュビッツに収容されてた方をゲストスピーカーとしてよんでくれた。 今日はそのholocaust survivorのおじいちゃんについて書く。もうよぼよぼので耳も遠い白髪のおじいちゃん。「座ってたら寝そうだから立って話すよ」といって、立ち上がったんだけど、2時間も立ってられる?というくらい、お年を召した方でした。 ---------------- ユダヤ人の彼はチェコスロバキア(当時)はプラハ生まれ。コックとしてプラハのレストランで働いていた。その時にもすでに、ユダヤ人は胸に黄色の布で作った"Jude"と書いてあるバッジをつけるのが法律だった。 ![]() これ↑。公園や映画館などの公共の場も使用禁止だったそう。 ヒトラーの勢力がオーストリア、チェコスロバキア、ポーランドにもおよび、彼は21歳の時にアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に連れて行かれた。プラハからアウシュビッツまで、電車では長くても5時間しかかからないそうだけど、彼が載せられた電車は3日もかかり、各車両に100人がぎゅうぎゅう詰めにされ、トイレと呼ばれるバケツ一つを皆で使ったそうだ。 15歳以上は無料の労働力として使われた。15歳以下でも、兵隊に「君は15歳だ」と言われると、労働者に加わらなければならなかった。 与えられた食事は、3センチ角のパンに、朝はコーヒーと呼ばれる濁った水、夜はスープ。彼はスープの列に並ぶ時、いつも出来るだけ後ろに並ぼうとしたと言ってた。というのは、前の方に並んでも、鍋の上澄みの液体しかもらえず、後ろに並べば並ぶ程、小さくても野菜や豆などの具が入るから。 「でも、ほとんど成功しなかったんだよね。もたもた後ろに並ぼうとしたら、兵隊から蹴られるからさ」 もちろん食事は足りることなく、ちょうどゴミ捨て場の作業をしてた彼は、捨ててある玉ねぎを見つからないように食べてたそう。見つかると彼だけではなく、グループ全員が罰を受けないといけないので、彼がとった方法は、猛スピードで食べること。根っこも皮もついたままの玉ねぎを、監視の兵隊が来る前の一瞬の間に口につめこんだそう。酸味で涙と鼻水が止まらなくて、おまけに緊張してたから全身から汗が出た。と言ってた。 私は、アウシュビッツというと、残酷なこと以外何も想像できなかったけど、おじいちゃんの話によると、毎晩、皆で歌を歌うことを収容されてた人達皆が楽しみにしていたそう。歌っていたのは、誰もが知ってるモーツァルトのオペラ、はやってたポップソングなど。そしてユダヤ人と一口に言っても、みんないろいろな職業を持ってるわけで、学校の先生をしてた人達は、夜になると、収容された子ども達に勉強を教えてたそう。なのでアウシュビッツが解放され、学校に戻ったユダヤ人の子ども達は、他の子達と全然変わらない教育レベルだったそう。 彼のしわしわの左腕の内側には、囚人番号が彫ってあった。タトゥーなので一生消えない。「B 0055xx」というように、ビルケナウの"B"のあとは彼の番号が並ぶ。全てが6センチ程に収まる意外に小さい文字。タイプすると機械的な数字に見えるけど、おじいちゃんの腕の番号は、老とともに腕に馴染んでぼやけていた。 ちなみに彼がどうやって生延びたかというと、チャンスを見つけて脱走したから。ちょうどその時に脱走した人が10人程いて、彼らと一緒に数週間山にこもり、戦争が終わって、また6週間かけてチェコに戻ったそう。彼の家族は知人に頼んで、収容所のリストから抜いてもらってた。これは彼自身も知人がどうやってリストから外してくれたかわからないと言ってた。 このおじいちゃん、アメリカに移り住む前にもイスラエルに住んでたという、移民なんだけど、英語が達者ですごくおしゃべりだった。アウシュビッツの生き残りの方と聞いて、どんな残酷な話がとびだすかと思ってたけど、2時間半のお話の中、最初の1時間と最後の30分は音楽と彼の恋人の話だった。でも、最初から最後まで共通してたのは、ユーモア。話は残酷なのに、ちょこちょこ笑えるポイントを入れていて、聞いてる方も遠慮なく笑った。 たとえば、腕のタトゥーを彫られる時の話。彼がタトゥーをいれるとき、彫ってくれる人が3人いて、収容された人達はその3人の前に並ばないといけなかったらしい。彼はとりあえず一番前までいって、3人の中で一番上手に彫ってる人を選んで、その人の列に並んだそう。「すごいおバカな話だけどね」 彼の恋人、後の奥さんの話もそんな感じ。「彼女を落としたかったから、ダンスは嫌いだけど、しょうがなくダンスに誘ったんだよ。女の子は踊るの好きだろ?」 終わりの一言には、「偉いなーこのクラスは。誰も寝なかったね。」 当初は2時間の予定が、2時間半のお話になった。 最後の質問の時間がほとんどなくなってしまったんだけど、私は絶対聞きたいことがあって、終わった後に直接聞いてみた。 「how do you expect your audience, especially younger audience to respond or feel after listening your experience?」 でもおじいちゃん、耳が遠くて、私は近くで大声で言ったけど、younger audienceとrespondしか聞こえてなかったみたい。「小学生の子達は大学生のように質問しないから、後でメールとか手紙がいっぱい来る、ほんとにいっぱいくるんだ」との答えが返ってきた。 次の「何で残酷な体験なのにユーモアを交えてはなせるの?」はちゃんと伝わってたようで、「聞いてる人達を悲しい気持ちにしたり、泣かせたりしたくないんだよ。それに夜ご飯食べたくないとか言ってほしくないし。君たちはまだまだ若いからね」 と、私はこれを聞いたとたん、辛い経験をしてるのに、なんでこんなにも明るくて、やさしさを持って人に接することが出来るんだろうと思った。彼がどんなに痛い思いをしたか、悲しい気持ちになったか、どんなに考えてもわからない。最後、「That's why I'm here」と言ってハグしてくれた。そのとき触れあったおじいちゃんのふよふよした頬がすごくあたたかくて胸がいっぱいになった。じわーっと涙がにじんでしまったから、急いで教室を出た。 私はこのクラスと旅行を無駄にしたくなくて、今、ナチスの政治や歴史について調べたり、ドキュメンタリーを見たりして、できるだけ知識を取り込もうとしている。知識を得る、学ぶというのはエンドレス。知れば知る程、全部を吸収するのは不可能なのがわかる。でもまずは興味を持つことから始まる。 おじいちゃんは「That's why I'm here! このために来たんだよ」と言った。おじいちゃんが言った、「That’s why」に答えてみる。私が質問したかった、「あなたは、話を聞いた若い世代の子達に何を望みますか?どう感じると思いますか?」には答えてくれなかったけど、それはもしかしたら若い世代である私が、彼の意見に左右されずに考えるべきじゃないかと思う。 話している間、おじいちゃんは一度も哀しい顔をしなかった。残酷な歴史を体験した張本人は、老いてなお、先を見ていた。今、私ひとりでも出来ること。だからこのブログを書いた。かなりちっぽけな行為。一人の人間の無力さを痛感する。でもこれがいくつも集まれば、何か変わる、良い方に変わると思う。 できるだけ多くの人が読んで、何か思ってくれると良い。 |
|
| ホーム |
|






















